賢明なもう一人の自分 /series まにまに

◆はじまり
と き)2023年10月3日18:29
ところ)八戸中心街ホテルロビー

久しぶりの自動書記的時間。おかえりぼく。おかえりみんな。自動書記的時間がどのように訪れるのか、なぜ訪れるのか、それはおおよそ確からしい理由があるけれど、ここでその理由が書かれるかどうかはまだわからない。ただ、きっかけだけは書いておくようにしよう。

はずかしながら、いや別にはずかしいことではないのだけど、古本屋を営むものとしてあまりいいたくないことがあって、それはつまり、この2年ぐらい「ビジネス書・啓発本」の類を読んでいるこいうことをここでおそらく初めて告白しよう。告白というからには、相応のはずかしさと相応の覚悟と相応のタイミングというものがある。はずかしさについては触れた。わたしは、古本屋であるかどうかに依らず、そもそも「ビジネス書」的なものを毛嫌いしていた。その理由はまた別の機会にゆずってしまうけれど、とにかくその前のめりな姿勢、というものに違和感があった。でもそれはもう昔の話で、いまとなっては前のめりでないと後ろに倒れちゃいそうだから読んでいるのだ。あーだめだ。なんかあれだね。疲れているのか、久しく長文を(自動書記だろうがなんだろうが)書いていないからなのか、なんだかつまらないな。ちょっと休憩してビールでも飲もう。

ひとくち
ひとときの無心

うん。続けてみよう。

なんだっけ。そうか、告白だから、恥ずかしさの次にある覚悟か。覚悟。あとは、タイミングか。そうだ、難しそうだから覚悟のことは省略してタイミングについてだけ書こう。あと、少しでもリズムを取り戻すために音楽を聴こう。

ほんとはレコードの針でも落とせれば気分もすっかりフェイドインしゃちゃうわけだけれど、今は普通にパソコンからぶるーとーすで飛ばすだけだ。仕方がない。

ショパン。タイトルはしらない。
おーけー。はじまった。

またビールを一口。

タイミングだ。すべてはタイミング。タイミングが世界のカタチを紡いでいく、そんな話になるかもしれない。戻ろう。要するに、ビジネス書を読んでいるぼくが、ビジネス書をきっかけに起きたことを記しておこうと思ったのだ。

今回の出張に持ってきた『直観を磨く 深く考える七つの技法/田坂広志』。新書なので、出張の往路で読み終えることができたわけだけど、その中には今のぼくにとっていくつか大切が示唆が含まれた。その示唆の中で、一番大事なのが「賢明なもう一人の自分」との対話方法だ。その説明はさておき、その中で「人生」に触れる場面がある。そりゃそうだ。もう一人の自分の存在について語るうえで人生に触れる場面がないわけながい。で、その場面では、ある種の啓示として次のような言葉が引用されていた。

 

 

Life is what happens to you while you are making other plans.
人生とは、あなたが計画を立てているときに起こる、それ以外の出来事のこと

 

 

なるほど。示唆的で啓示的な表現だ。著者の田坂氏は、これをジョン・レノンの言葉として紹介していた。誰でもいいけれど、「計画的でない部分のことを人生と呼ぶ」その視線には多くの共感を覚えた。それが今朝(10月3日の朝のフェリーターミナルロビーで)のことだ。

そして時間をやや進めて今日のお昼。午前中に電話をかけまったぼくは(もしかしたら世界中の人に電話をかけるつもりだったのかと思うほど電話をしたぼくは)文字どおり疲れて果ててしまい、昼めし時に「新しい風」を欲していた。八戸のまち中には幸いにも書店が残っていて(それは決して大きくはないけれど。あ、ブックセンターは大きいですが、今日は定休日)そこで「新しい風」つまり本を探してからそばでも食べようと思っていわけだ。

ところが、最近自分の存在基盤が少しぶれつつあったぼく(その話はまたいつか書かれるかもしれない)は、上手く本を選ぶことができなかった。いろいろな本を手にとり、そのうちのいくつかの扉をひらき、そこに整頓された言葉たちが自分に風を起こすものかどうかを吟味してみたけれど、そもそも風を感じる感覚が鈍感になっているせいか、まったくといっていいほどぼくの心は震えなかった。それでも「新しい風」の必要性だけはそこにあり続けた。そこで、これまでも頼りにしてきた信頼する作家たちの本を中心に手をのばした。三島由紀夫、ヘッセ、あとなんだったけ。忘れちゃったな。とにかくそんな中から「まぁ、これでいいか」と思ったものを手にとりレジに向かおうとした。けれどもやっぱり足が重い。手がウキウキしていない。うん。やっぱりこれではないんだ。その「直観」こそ大事なはずなのだ。そんなわけで、またもや本を棚に戻すことになる。そして、変わらずブレブレな自分にやや辟易する。が、ふと、ある作家(もうだれか忘れた)のことがよぎり「ほ行」の棚(その店は、出版社別ではなく作家名別のあいうえお順で整理されている)に目を移したときに星野道夫の文庫が目にはいった。星野道夫。説明は不要だろう。ぼくの信頼する友人の多くが、彼のことを好いていた。ぼくの妻も彼を好いていた。だからもぼくも好いていた。でも、実は、それは、なんとなく、でしかなかった。なぜって、ちょっとしたエッセイを読んだりちょっと写真集をのぞき見たことぐらいしかなかったのだから。ぼくの中に「星野道夫像」というものは明確には存在していなかったに等しい。それでも「いいよねー」なんて言っていた自分が恥ずかしいけれど、自動書記の特徴はその恥ずかしさにあるので、仕様がないのだ。で、「ほ行」にある星野道夫の文庫をみたときに「これだ」と思った。いままでの、星野道夫ファンとのなんとなく奥行のない会話(それはもちろんこちらに奥行がないからだ)に対する申し訳なさと、大切な人が大切にしていることへの興味、それが素直に相まった瞬間だった。

そんなわけで『長い旅の途上/星野道夫』(と、雑誌WIREDの30周年記念号)を購入して、なかなか満足な心もちで蕎麦屋へと向かった。

角煮そばという、かゆいところに手が届くメニューを注文した後、さっそく星野道夫の扉をひらいた。エッセイ集だ。各エッセイは5~10ページぐらいだろうか。その一つ目からして「ああそうか、だからみんなファンになるんだ」と一気に腑に落ちた。彼のぬくもりやまなざしは、どこか村上春樹の「大切なことは言葉にはできない」というスタンス(これはぼくの解釈だけれど)と類似するような言葉選びによって、この小さな紙の束のなかに綴られていた。とても心地がよかった。求めていた「新しい風」は想像を超えてぼくの心をなでた。

まだ角煮そばは届かない。二つ目のエッセイを読み進めた。そこには、たしか1940年代ぐらいかな(今は本を見ないようにしているのでわからない)、アラスカという大地を世に知らしめ、その乱開発をとめるために活動したシリア・ハンターとジェニー・ウッドという(エッセイ執筆当時で)70代半ばぐらいの、すてきな女性たちが登場していた(正直に言おう。年代や年齢はどーでもいいけど、名前は正確に記したかったので、いまは本をひらいたよ)。星野道夫が敬愛するこの二人、わかりやすく老女と言ってしまおう。アラスカという世界を守り、愛し続けた老女二人ととある川に向かうエッセイ。その中で、シリアが良く口にしていた言葉が記されていた。

 

 

Life is what happens to you while you are making other plans.

 

 

・・・・・


ぼくは 本を おいた

少し目まいがするような感じで
右半分だけ頭を抱えて。

そしてうれしくなった。

「賢明なもう一人の自分」に 会えた気がした。

 

 

そんなすばらしい日だったから、ぼくは今日告白をすることにしたんだ。

 

 

◆おわり
と き)2023年10月3日19:18
ところ)八戸中心街ホテルロビー

鹿児島出身東京経由小樽着。 小樽銭函エリア、春香山の麓『古本屋 DUAL BOOKs』店主。

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