【シリーズ:失われた原稿】
このシリーズは、ブログ主の仕事やなんやの過程の中で、たたき台として作成し本当にたたかれて跡形もなくなってしまったものや、無事に日の目は見たものの、振り返れば世界になんの足跡も残さなかったものなどを集めたものです。
果たして、「あぁ、なんだか、失われちゃったなぁ」という寂寥感とやるせなさ、そして旅立った子どものような愛らしさと誇らしさをかき集めることになるのでしょうか。それとも、結局は「おれ わりと がんばった記録」として収束するのでしょうか。
私自身、楽しみにこのシリーズを始めてみます。
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喪失日:2022年11月29日
場 所:青森県八戸市にて
題 名:クルマとまちと暮らし
私たちの日々の暮らしには「移動」が欠かせません。学校に通う子どもたちや先生たち、会社に通うサラリーマン、日々の買い物や通院、そして自宅に届く郵便物に至るまで、 私たちの暮らしは「移動」によって支えられている といってもよいでしょう。ここでは、そんな「移動」の中でも、多くの場面で人々の暮らしを支えているクルマについて少し考えてみたいと思います。
クルマは私たちの暮らしを便利に、豊かなものにしてくれます。遠くまで買い物に行くことも、学校や病院への送り迎えも、休日のドライブも自由になりました。「クルマのある生活」は多くの人にとって魅力的なものであり、 社会全体でも「クルマがたくさん走ることを想定したまちづくり」が進められてきました。
その結果、もともと、仕事・買い物・娯楽など、暮らしの拠点となっていた 駅の周辺やまちの中心街が衰退 し、駐車スペースのある家、広大な駐車場のある大規模店、クルマで行きやすい幹線道路沿いの公共施設などが好まれるようになり、どんどん まちは郊外化 していきました。古くから暮らし・商業・行政の中心であった「まちなか」は、同時に交通の要所でもあったので、まちなかの電車やバスもにぎわっていましたが、クルマ中心の生活、クルマを前提としたまちの構造の変化に伴い、 電車やバスの利用者も減少 していきました。さらに、急速なまちの郊外化は、道路だけでなく水道・電気・ガスなどの 社会インフラの非効率な拡大 につながりました。そして、全国どこでも同じような郊外の新興住宅地、幹線道路のロードサイド風景ができあがったのでした。
このように、「移動」の中でクルマという手段に着目するだけも、まちや暮らしの変化と深く関わりがあることがわかると思います。そして、個人と社会の関わり、時間や場所によって変化するメリット・デメリットなど、多義的な側面があることも特徴的です。
この冊子では、このようなわたしたちの暮らしを根本的に支えている「移動=Mobility」に着目し、これを教材として活用するMobility Management教育についてご紹介しています。
子どもたちと一緒に、移動とまちと暮らしのあり方を考え、対話をするきっかけになれば幸いです。
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喪失 完了しました