準備というもの /series まにまに

◆はじまり
と き 1月4日夜20:30ごろ
ところ 自宅の湯舟の中

ふと思いついたことの中でも、とりわけ自分にとって「ほほぉ」とか「そーかもなー」とおもったことを、特に整理せずにどしどし書こうと思い立った今日は2023年1月4日。他の記事と差別化するために「シリーズまにまに」という名前をつけてあげようとおもう。少し恥ずかしいけど、少し恥ずかしいことを思いついてしまった自分を許すために、そのまま採用しよう「まにまに日記」。まちがえた「シリーズまにまに」。

さて、今日気づきましたのがこちら。「人間、準備ばっかしてるなぁ・・・・・」ってこと。会社行くために身だしなみ整えて、朝ごはんの準備をして、子どもの学校の準備を促して、さー一日の仕事をはじめよーという気合を入れる準備として珈琲を飲んで、いよいよ、明日のプレゼンのために資料の準備を始めて、その合間に確認事項のメールをするために、過去のメールを振り返って準備して、いやそのもっと前には・・・・やめよう。やめてしまえ!準備ばっかりじゃないか!仕舞には、死ぬ準備まで流行っていたりして。なんでやぁ・・・なんでおれもみんなも準備ばっかりしてるんだぁ。というわけで考えてみよう。

なぜ、人は、準備ばかり、しているのか。

くーーーーーー。シリーズまにまに初回にして、難問を想いついてしまった。湯舟で思いついて、記録しておこうなんて思いついて、ついでにfacebookとかのSNSをやらない期間を設けてみようかしらとかいろいろ考えながら髪乾かしてビールを開けて今に至るけど、「準備問題」難しーーー。(現在、21:31@台所)。でも続けてみよう。何かが見えるかもしれないのだ。いや、見えなくてもいい。いつか何かの役に立つかもしれない。いや、役立たなくてもいい。ただ書きたいから書くのだ!今は、そーゆーつもりで、少なくても、気持ちの上では、そーゆーつもりで、書くのだ!

なぜ 人は 準備ばかり しているのか。

準備とは「ナニカのために」やるものである。そのナニカは複数の可能性があり、かつ、別のナニカにつながっていることが多い。例えば、朝の歯磨きは虫歯にならないため(準備)でもあるが、気持ちよく目覚めるため(準備)でもあるし、口くさーいっていわれないため(準備)でもある。で、この口くさーいっていわれたくないのは、妻に「あなた口くさいわよ」ってしかめっ面でいわれないため(準備)でもあるし、会社の人に「・・・この人と打ち合わせすると匂うんだよなぁ・・・」って心の中で言われないため(準備)でもあるし、それは自分の面子とかプライドをたもつため(準備)でもあれば会社で心地よくチームと仕事をするため(準備)でもある。でもって、それは・・・・という具合に「ある準備は次のナニカの準備のための準備である」という構造になっている。ほとんどそうじゃないだろうか。となると、最終的に収斂していく「ナニカ」というのがあるのかもしれない。それは「死」ですよ。「死」。で、「死」と「生」は背中合わせの同じものだから、生きるために準備し続けるわけですよ。より良く生きるために・・・・・などど、それっぽく終わることもできるが、それでは全くおもしろくないし考察が浅い。準備にはもっと深みがあるはずなのだ。準備だけに・・・・。って、「だけに」の意味が分からないので、少しシフトしよう。準備って、なんかちょっとメンド―なイメージがあるような気がする。目的は別にあって、その前の段階が準備だから、できるだけ省きたい気もする。さっきの例でいえば、心地よくチームと仕事できることが最初から約束されているなら、朝の歯磨きなんてしたくないのだ(いや、するけど・・・)。今の例はちょっとアレだったけど、まぁ、準備が肝心!ってわざわざ言われるぐらいだから、ほとんどの人がきちんとできないってことなのよね。なぜか。

なぜ 人は 準備が あんまり できないのか。

はい。その答えは明々白々です。面倒だからです。そもそも準備の目的であるナニカに、どっぷりのめりこめてないからです。だから面倒なのです。つまりは、やりたくないことやってるからうまくいかないのです。はいきましね。湯舟にいる間にうっすら浮かんだことにたどりつくまでにめちゃ時間かけましたね(現在21:52@台所)。まぁ、テキストかいている途中に連絡きたりストーブ見に行ったりするからしょうがないけどやっぱり書くって大変。大変だけど楽しい。普段はあれなんです。文章書くときはよくよく読み返しながら書くのですが、この「シリーズまにまに」は基本的に読み返しません。ライブ感を「あとで」味わいたいから、がまんして読み返さないのです!自分で自分の文章を楽しみにしているのです!これです!つまり、これは「準備」ではないのです!!!!キターーーーーーーーーーーーーー。つなげてキターーーーーーーーーーーーーーーー。でもほんとそう。というか、辿りつきたかった場所はここです。この「シリーズまにまに」のように、「ナニカの準備ではない時間」って大事じゃないですかーーーってこと。みんなきっとありますよね。

「ナニカのためではない時間」

漫画を読む、みかんをたべる、塗り絵をする、「がおーーー」って叫ぶ・・・・。はい、来ました、ヒントきました。ここまで湯舟の中で思考が到達して「これはかきとめとこ」って思ったのです。何か来たのか、私は湯舟で何に到達したのか・・・。

子どもって 準備 苦手じゃないですか。

あれが不思議だったんだけど、わかった気がしました。子どもって、準備が苦手、なのではなく、「ナニカのために」という思考自体が「あり得ない」からなんじゃないかしら!子どもって、「ナニカのために」時間を使うことないし「ナニカのために」生きてないよね(きっと)。強いて言うなら「自分の楽しいとか自分の今の気持ちに向き合い続けて時間が経っている」って感じよね(きっと)。つまり、子どもは「ナニカのための時間」を過ごしてないから準備全般ができないのが当たり前なのではないか!そんな結論になったのです、湯舟で。

もーいーーや。たくさん書いた。はじめてのシリーズまにまに。どーだったかしら。今から読みかえしてみます。それではまた、素敵な日々の素敵な隙間でお逢いしましょう!Chao!!

◆おわり
と き)2023年1月4日22:05
ところ)自宅台所

鹿児島出身東京経由小樽着。 小樽銭函エリア、春香山の麓『古本屋 DUAL BOOKs』店主。

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