ブログ主の仕事やなんやの過程の中で、たたき台として作成し本当にたたかれて無に帰したものや、日の目は見たものの、世界に一切の足跡も残さなかったものなどを集めたもの。それが『シリーズ 失われた原稿』。
寂寥感とやるせなさ、あるいは旅立った子どものような愛らしさと誇らしさをかき集めることになるのでしょうか。それとも、置き忘れた自己との再会になるのでしょうか。
私自身、楽しみなこのシリーズ、どうぞお付き合いください。
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喪失日:2012年1月~2月
場 所:札幌市あるいは旭川市にて
テーマ:雪像作品の世界観を補完する添え文
その日ぼくは 「さんかく」に再会した。
退屈な休日の退屈な時間を有効に消費するために
ぼくはいつものように役場の前にある公園に行くことにした。
公園はいつものように完璧な白を 移ろいやすい銀の世界に閉じこめていた。
ただ その日はいつもの「役場の前にある公園」とは決定的に違っていた。
旭岳はいつものように澄み渡る雄大さを示していたけれど
少しだけ大きくなっていたし
クロスカントリーに没頭する子どもたちの姿も
いつものような無邪気な無鉄砲さに包まれながらも
少しだけ真剣さを欠いていた。
ぼくがその理由に気づくのに さほど時間はかからなかった。
そこには 「さんかく」がいたのだ。
「やぁ。久しぶりじゃないか。」
さんかくは相変わらずさんかく的な口調で語りかけてきた。
「やぁやぁ。また君に会えるなんて。今日は随分とご機嫌な一日になりそうだな。」
彼を見送ったのは もう10年ほど前になるだろうか。
さんかくは 雪の照り返しをうけて 少しまぶしそうに目を細めた。
「変わらないね。」
「そう簡単にはね。」
彼の姿は 相変わらず捉えどころを欠いていた。
彼は ずっと昔から 前とか後ろとか 右とか左とか
そういった概念とは関係のないところに生きていた。
それは 真っ直ぐに生きようと思い描きながらも
穴ぼこだらけの空間をよたよたと歩き回るのが精一杯のぼくと
少しだけ似ているところがあった。
ぼくらは「方向性と秩序を欠いている」ことでつながっていたのだ。
「まだあの井戸を持っているのかい?」
「もちろんさ。むしろ増えたくらいだ。」
「明日にでものぞきに来るよ。あの時、あちら側に置いてきたものもあるし。」
「そうだったね。歓迎するよ。でもきみはこちら側の人間だ。あまり長い時間向こうにいてはいけない。」
「わかっているさ。」
旭岳がいつもより大きく見えたその日
子どもたちはいつもより真剣さを欠き
ぼくはいつもよりも長い時間 公園にたたずんでいた。
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2024年7月15日 喪失 完了しました。